椿姫リブレット考①

 私のイタリア語読解能力が貧弱なため、恥ずかしながら、オペラのあら筋や日本語対訳を読み、単語を意味調べしただけでは、細かい描写の意味や、詩にするために倒置された語順を正確に読み解くことが出来ず、雰囲気で読んでいたものが実は全然見当違いだった!ということがままあるのです。

そこでいつも頼りにしているのがエルマンノ先生!イタリア語も日本語もペラペラでオペラだけでなくあらゆる知識の宝庫のような先生です。今やイタリアオペラの台本指導で引っ張りだこの先生、作曲家や指揮者からも絶大な信頼を得て色々な公演に携わっていらっしゃいます。

お忙しい中たまたま空きの出た時間に無理やり2時間レッスンを入れていただき、椿姫前半2幕1場アルフレードヴィオレッタのデュエット終わりまでを教えていただきました。

 


私にとっては大きな発見がいくつか。

 


①乾杯の歌の後のヴィオレッタとアルフレードの2重唱

 


椿姫の1幕の2重唱って、あれ、アルフレードの告白を聞いてもヴィオレッタはそんなヒロイックな愛は受け止めきれないわ、他の人を探してと断っていたのに、いざアルフレードが帰ると言ったら急に椿の花を渡して明日来てもいいってことになった、ちょっと急な展開じゃない?その後のヴィオレッタの有名なアリア”E’strano “の伏線となるには弱いのでは?などと思いながらも、音楽がつくと自然に流れて行ってしまうので予定調和なのかしら、くらいにいい加減に考えていたのですが(お恥ずかしい💦)、”E’tal giungeste?”というセリフの訳が間違っていたことが判明😣giungeste というのは到着するとか来るとかいう意味のgiungere という動詞の2人称遠過去なので、来てすぐ帰るアルフレードに言っているのかな?とあまりにも勝手に想像していたのですが、実は心理的な到達を意味しているらしいのです。つまり、ヴィオレッタが友情しかあげられない、愛の話はおしまい、と言うのに従い帰ろうとするアルフレードの行動に、そこまで私の言う通りにするの?そんなに私のことを愛しているの?とハッとして出たセリフ、だそうなのです。

 


高級娼婦という職業がどんなに贅を尽くした生活をしていても、社会の底辺を支える卑しい仕事と思われ、蔑まれていた中で、貴族は娼婦をどう扱ったか、それは1幕でヴィオレッタがドゥフォール男爵に「私が病気のとき何もしてくださらなかったわね」と皮肉を言ったときに男爵が、「君とは知り合って1年しか経っていないじゃないか」と冷たく言い放つセリフにもにじみ出ています。そんなヴィオレッタにとって、あなたの病気が心配で1年間家に通って花を贈り続けたと打ち明ける青年アルフレードもまた偽りの愛を語りながら欲望を満足させようとしている他の顧客と同じなのではないかと疑って当然でしょう。ところが1年前からヴィオレッタに恋い焦がれていたこの青年は「愛はないの、その約束でいい?」と言われると「あなたに従います。帰ります」と愛がないなら帰るというのです。ヴィオレッタを買いにきたのではないことがここではっきりとしたところで、「そこまでするの?」というセリフになるのです。

 


こんなにはっきりとドラマが生まれるところなのに、ここでは音楽は驚くほど頼りになりません。なぜかと言うと隣の部屋のダンスの音楽がずうっと舞台裏のバンダ(小編成の楽団)によって奏でられていて、オーケストラは沈黙しているのです。

と言うことは、歌手の演技の力量に負うところが大きい場面なのですね。

このシーンのドラマがうまく行けば、パーティがはねてからヴィオレッタが一人で存分にその気持ちを歌い上げるアリアはよりわかりやすく、1番だけでなく2番も必要な曲であることが理解されるでしょう。