ムーティのイタリアオペラアカデミー報告①

オーケストラリハーサル2日目

私は実はアカデミー2日目から6日までの5日間聴講しました。初日はどうしても行けない用事があったので。

ムーティは何も教えない、と言われていたけれど、このアカデミーでは、4名の30歳前後の若手指揮者に、指揮の仕方を丁寧に教えている。2つ振り、4つ振り、ここは1拍を分けて振る、レチタティーヴォ(語りの部分)は歌のフレーズの続きとしてオケの音を滑り込ませて、など、実に具体的に指示があり、若い指揮者たちも振るたびにかなり上達している。

ムーティの指示はとても簡潔で、際立たせたい楽器の入りや和音変化の前に、ライオンのような声で楽器の名前が飛ぶ。「ファゴット!和声が変わる音だ、とても大切だ」「ヴィオラ!リズム!」スコアの隅々まで頭に入っているのがわかり、奏者は気を抜けない。

若い指揮者が振るといわゆる拍打ちに専念する音楽性のない指揮になってしまうため、オーケストラの奏者は自分の音を主張したがり、結果60名のフォルテッシモになっていく。。そこでムーティが一言、”Che dinamica Verdi ha scritto?” (ヴェルディが書いた強弱の指示は?)。若い指揮者は頭を垂れて、「ピアニッシモです」。。

ムーティは語り出す。

諸君、ヴェルディが最大いくつのp(ピアノ)をスコアに書き込んだか知っているか?ヴェルディの時代はオーケストラピットがなくて、あれはトスカニーニスカラ座で発明したものだ、観客席と同じレベルで演奏したからオケの音は今より大きかった。だからヴェルディは奏者に弱音を要求し続けた。リハーサルのたびにpの数が増えていって、ついに12個になったのがスコアに残っている。

pppppppppppp!!

ムーティの話はユーモアたっぷりで親しみやすくて面白い。最上段から構えるのではなく、イタリア人らしく友人として話すレベルで話してくれるのでみんな心を開いて耳を傾ける。その上あっと驚く知識の宝庫、でも難しい言葉をあえて使わず具体的な例をあげるので分かりやすいし記憶にも残る。

3幕の有名な四重唱の間奏、マントヴァ公爵が宿屋の主人の妹マッダレーナを誘惑するヴァイオリンの間奏。若い指揮者が生真面目に拍を刻んでいると、ムーティが止め、ここは誘惑の場面だからsensuale でなければならない。君はsensuale (イタリア語でsexyの意味)の意味が分かるかね?と尋ねた。イタリア語がわからない若者が戸惑っていると、ムーティは全員に向けて語り始めた。

もちろん、現在の政治的な事情によれば権力ある公爵が一般女性を次々に誘惑するのは、間違った行為だ。公爵の有名なアリア、女心の歌の歌詞、女はバカで嘘つき、とは女性蔑視の歌になる。

しかしこれは芸術だ。政治的に正しいことと、芸術として表現すべきものは別物にするべきだ。

この話にはやたらと時間をかけたし、歌手とピアノのリハでももう一度繰り返した。

私だって女心の歌を指揮しながら良心の呵責を感じる。女の人が嘘つきでバカだなんて私は思わない、男よりずっと賢いし、長生きする!とファーストヴァイオリンの女性奏者に笑いかける。

3幕の四重唱が終わると舞台は嵐の場面になる。音楽もマントヴァ公爵のエレガントで華やかな色から、嵐の前触れの不吉な色に完全に変わってしまう。

ムーティの指揮でチェロバスとヴィオラの導入で地獄の底からなるような音色が出た。すると、それまで若い指揮者の練習台かよ、みたいな雰囲気もあったオケが変わった。オペラの音楽では、情景だったり感情だったり役者が醸し出すオーラのようなものを音楽で表現することを要求される。それはスカラ座のオーケストラの得意技ですが、一人一人はプロフェッショナルとはいえ普段はオーケストラのコンサートで弾いているオケメンバーには新しい経験だったに違いない。

嵐が近づく不吉な暗い夜の情景、これからの悲劇を予感させる地鳴りのような弦の和音だけで、舞台セットもなく歌手もいないのに演劇的な舞台が成立した!

2日目の練習が終わった。

A domani!(また明日)と言われたのにオーケストラが席を立とうとしない。オケのメンバーは一般的にリハーサル時間にうるさく、終わればさっさと帰りたい人達なのにしばらく練習の音が止まない。

指揮者が自分の音を聴いている、という確信が奏者の音楽家魂に火をつけた。